『北米探偵小説論』注釈 映画を探して12 2003.01.01の日誌より
『ラスト・ワルツ』のDVD版を観た。驚いたことに、この映画は、わたしのなかでモ
ノクロームのフィルムとして記憶されていた。
ニール・ヤングの『ヘルプレス』も、リック・ダンコとエミルー・ハリスの『エヴァンジェリン』も、なにもかもが褪色した古い画像のようにしか残っていなかったのだ。いま観かえしてみても、何からなにまで、まぎれもなく70年代後期にしかつくられえなかった映画だと思う。
しかし忘れ果てていた冒頭のシーンを観れば、ヴィム・ヴェンダースの『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』がこの映画への返歌であることは明らかだった。 数あるロックバンドのなかで「ザ・バンド」と名乗ることの出来たのは彼らだけだった。
そして『ラスト・ワルツ』という映画に、二十数年前のわたしが何を見ようとしていたのかも、ようやく腑に落ちたとも思える。彼らのコンサート・アルバムでは『ビフォア・ザ・フラッド』がベストだ。しかし統一された作品としての持久力は『ラスト・ワルツ』に及ばない。その端的な理由は、たんにひとつのグループの解散コンサートというにとどまらない、 ビッグ・イベントの質にあるだろう。
あの頃は、時代がいくつかの「祭りの終わり」を語るセレモニーを必要としていた。とうに祝祭の時代は終わったはずなのに、なお散発的な祝祭のときは生きられていた。自分の実感としても、間違いなくそういえる。けれどいずれにせよ、終わりのときは来るし、終わりのメモリアルは刻みつけられねばならなかった。
挽歌が必要だった、いつの時代もそうだとはいえ。
わたしらはわたしらの肉体を果てもなく享受するいっぽうで巧妙に絞殺することを試みていたのだ。
『ラスト・ワルツ』はつくられるべくしてつくられたスコセッシ映画だった。『明日に処刑を……』から『ミーン・ストリート』『タクシー・ドライバー』を経て『レイジング・ブル』まで、かつて追い求めた、そしてしごく居心地よいと思えていた、スコセッシ・フィルムの、あの永遠の映画少年がつむぎだす、とりかえしようもなく喪われたものへの望郷の、あまりにも傷つきやすい明敏な身ぶりが、コンサート・フィルムの記録のはしばしにあふれかえっている。こんなにも物悲しく懐かしい映画は他にいくらもあるまい。
2020-07-27 06:35
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